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轍(わだち)~それから 第6話「逢瀬」

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(佐分利)学院の養護室で、秘密の濡れ場が演じられた同じ6月4日の土曜は、梅雨入りが近い事を思わせる、雲の間から時折晴れ間の空模様だった。中条 新(なかじょう・しん)は、いつも通り、午前6時半前に、例の事が原因で目を覚ます。

「あ~あ、今朝もおっ始まったわ・・」居室のほぼ向かい、鉄筋四階建て某商家の屋上で、例の飼い犬が、他の犬を連れ散歩中の通行人を見つけ、過剰反応気味に吠えたてているのだ。
「・・たく、口から屁~こいてる風情だな。おいKuso犬、静まれ!この~・・」そう呟いてはみるものの、これまでの所、こいつのお蔭で、どうやら勤務先の遅刻をも免れているのだから、大口は利けない。結局は、なりゆきで静まるに任す事となる。

この朝も、いつも通りに手製の朝食の後、8時頃に出社。名目では、土・日・祝日は休みの完全週休二日制なのだが、どうしても必要な時以外は、土曜午前は雑用や、週明けの納品などに備えての、倉庫での作業などに充てる事が多かった。一定の目途がつくと、同じく出社の、社長の義弟や専務の実妹、同じ部課の仲間たちと昼食の後、帰宅。この日夕方は、学院の元講師 伊野初美(いの・はつみ)と会う約束の為、夕方まで居所の掃除や、干していた夜具の整頓などをする。朝に続き自らコーヒーを入れ、一服の後、上シャツとジーンズ姿で、JRのN市中央駅方面へ、徒歩で向かう。

同駅の東側、円頓寺(えんどうじ)と呼ばれる、古くからある商店街の近くに、中条が、少年期の途中から通った小学校があった。今は、少子化に伴う統合で建物は消滅、跡地が緊急避難所を兼ねた予備運動場として残されているのだが、その近隣が、最近は夜の歓楽街として再整備され始めた。その中に、中条気に入りの居酒屋もあるのだが、この界隈を通る時には、特別な感慨を覚える彼であった。「何せ、小5と小6の時を、ここで過ごしたのだからな」

伊野初美とは午後6時に、N市中央駅に近い、通りに面した某書店で会う事にしていた。玄関をくぐって少し右奥に、彼がよく見る鉄道交通やモータースポーツ、音楽関係の雑誌を置く棚が並ぶ。女性向け雑誌のそれも傍らだ。淡色の上シャツに薄い羽織り物、それにデニム地のロング・パンツを装う初美は、既に先着していた。「お待たせ!」 「いえいえ、まだ時間前。大丈夫よ」
初夏の夕方、街はまだ明るい。中条気に入りの居酒屋はすくそこだ。席も予約してあり、不安はない。

「貴女とこうして歩くの、久し振りだよね」 「そうでしょうね。去年の林間学級より前、あたしがまだ学院にいる頃以来かしらね」
「ああ、そうかな。・・でもって、二人きりで会うのは・・」 「その林間学級以来よ」 「ハハ、そうでした」二人、笑う。

居酒屋に落ち着いた二人「そろそろ、好い鰹が入る頃だ。楽しみだな」中条が言うと「美味しい烏賊(いか)のお刺身があると好いわ」初美も応じ。店の者にこの日の入荷を訊き、前述を含む海鮮が何品かと、揚げ物が若干、海草と野菜のサラダや後からのお茶漬けなどを注文。飲み物は、初美がレモン・チューハイの後でカシス・ソーダ、中条が生ビールの後で冷酒一献、と言った所だった。

「お仕事は、順調なの?」初美、訊く。「ええ、お蔭で。有名な、大阪の掛け合いみたいでね。『儲かりまっか?ぼちぼちでんな』って、あんな感じですわ。貴女はどうかな?」中条、こう返す。初美「あたしも、似た様なものでね。初めの内、お客様情報とかが入り混じったりしない様に気をつけたりだったけど、今は一応不安なしよ。学院にいた頃、生徒のデータの管理に慣れてたのも、今、役に立ってるわね」続けると、中条も「それは良かった。前のキャリアが生かせるのは大きいよね」と応じ。

それから暫く、世間一般や音楽の事共で雑談。食事も進んだ午後7時過ぎ、初美は中条に「あのね、貴方の事を、下のお名前で呼んでいい?」中条、迷わず「いいですよ」と応じ。「有難う。それでね、あたしの事を、呼び捨てにして欲しいんだけど」初美にこう言われた中条「う~ん、待てよ。いきなり呼び捨て・・か。難しいな。ちと勘弁を・・」 「あらやだ。何勿体ぶってるのよ?あたしはもう、甥子さんの白鳥 健(しらとり・たける)君の先生じゃなくってよ」 「ですよね。なら『初ちゃん』じゃダメ?」 「あらあら、(山音)香緒里(やまね・かおり。学院時分の、初美の同僚)と同じじゃないの。まあ好いわ。それで行きましょう」

そして、冷酒を飲み終え、次の追加を迷っていた中条を、初美が制す。「新さん、今はもう、お酒はダメよ。次があるんだから」
「次がある・・なる程ね。じゃ、お茶漬けで終わりにするか」 「食後の果物位ならOKよ」午後8時頃、こんな感じで、この席は幕となった。

中条は訊いた「初ちゃん、これから俺んとこへ来られるの?」半信半疑だったが、意外にも「ええ、そのつもり。まだまだ話したい事があるわ。何なら朝までだって」 「ありゃりゃ、こりゃ本気だわ・・」中条、こう感ず。 
少しは予想していた事だが、これは期待以上かも知れない。そう言えば、彼女の持つ肩バッグが、どうもちと大き目なのも気にはなった。多分、中身には着替えやお泊りグッズなども含まれるのか。

中条は、通りに出ると、待機中のタクシーに初美を招き入れ、N城址西側の居所を告げる。運転手との会話を少し。
「近くで悪いんだけどさぁ、城址西の某町へお願い」 「かしこまりました。今夜はお酒ですか?」 「そうそう。今までで、ちと飲んでるもんでね」 「ああ、ご利用正解ですよ。あの辺はN市でも暗い所があって、飲んだ後は、歩きでない方が好いでしょう」
信号待ち含め、10分弱で、中条の居所へ。「有難うございました!」精算を終え、玄関のセキュリティをパスし、EVにて7Fへ。

中条の居所は、一応掃除と整頓が済んでいたので、慌てる事はなし。ただ、初美はその勘で、少なくとも最近は、女の出入りがない事を嗅ぎ取っていたりもした。
「中々、綺麗じゃないの」彼女は言った。「まあ、今日は掃除もできたんでね」と中条。リビングのソファと、衣類のハンガー、それに荷物置き場を勧める。片隅に、AV機器とPCのブース。クロゼットに入りきらない衣料を収めた箪笥が一セット。甥や少年たちが、訪問の楽しみにしている雑誌やビデオ・ソフトなどは、ひとまず別の部屋に整理しているので、とりあえず見られる心配はない。

中条、落ち着くと、初美にブランデーのヘネシーV.Sの水割ダブル、氷なしを勧め、自らはスコッチのティーチャーズを、同じスタイルで嗜む。決して収入の芳しくないこの男に、コニャックの上級酒(V.S.O.P以上)を手にする余裕などなく、又、それを自覚してもいるのだが、これが反って初美に「分相応だわ。己の立場が分ってる男って事だし」との、佳き印象を残したのも事実だった。

TV番組をチェックしながら、居酒屋の続きの談笑などして小一時間後の事だ。「初ちゃん」中条が言った。「風呂入っておいでよ」入浴を促す。「有難う。じゃ、遠慮なく」初美、先の入浴。決して広くはないが、まあ清潔で快適な浴室である。入ってから中条、ふと思う。「彼女、シャンプーやリンスとか持って来てるか?」気になって、一応声をかけると・・。「安心しなさい。持ってるわよ」の返事。「いやー、良かったよ」

「女の長風呂」は分っていた。もう夜10時代か。「有難う。お先にね」持って来たらしいバス・ローブを纏い、リヴィングに戻った初美と入れ違いに、中条が入浴。「さて、今夜これから、どうなるかな・・」などと想いを巡らせつつ、洗髪やボディ洗いなどを進める。
身体の水気を拭き、ヘア・ドライヤーを使い、とりあえず下着を纏って部屋へと戻ろうとしたその時、不自然に暗めなのが気になった中条。
「初ちゃん、大丈夫か?」リヴィングの、ある変化が男の心を揺らす。それは・・
(つづく 本稿はフィクションであります)。

今回の人物壁紙 桐生さくら
松岡直也さんの今回楽曲「チロン・ウェルカム(Chillon welcome)」下記タイトルです。
Chillon welcome

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