レディオ・アンカーの幻影 第4話「面識」
- 2019/10/19
- 13:08
「ラジオ深夜館・リスナーの集い」の持たれるその日 4/20土曜は、終日晴天。朝方はやや肌寒かったが、日中の気温は 20℃を超え そろそろ衣類も夏物が良くなる時季に差し掛かっていた。この日、前嶋は朝から午前にかけ居所の雑用を片付けると、正午前に金盛副都心某所で理乃と落ち合い、某和食店で早めの昼食を経て JR東海道線上り列車で南郊 O市を目指す。ほんの「チョイ乗り」の風情。快速なら、ものの 10分強で O駅に達する。
多くの JR各線もそうだろうが、概して各駅停車の普通よりは、快速の方が乗車率がよく混んでいる。だから金盛から二人並んで座れたのは幸運かも知れなかった。服装は、前嶋が薄手のジーンズ上下で靴はウォーキング、理乃も春物のグレー系薄手上衣とブラウスのコラボで下方は同色の長めのパンツ。隙のない出で立ちだ。同じ社の同僚でもあり、余り気を遣う必要がないせいもあったが、それよりも余り懇意にしていない風を装う「守り」の意味もあったのだ。
「のぞみさんは、ラジオ深夜館のイヴェントは初めて?」理乃が訊いてきた。前嶋「・・ですねぇ。前から覗いてみたいとは思ってたんですが、正直初めてです」 「そうかぁ。実はあたしも初めてでね。ちょっと前 一度応募ハガキを出したんだけど、希望者多数で抽選になっちゃって・・」そう続ける理乃は、ちょっと肩を落とした様に見えた。前嶋「そうですか。その時ゃ残念でした。今日は云わば『復讐(リベンジ)ってとこですか?」 「まぁ、そんな大袈裟なもんじゃないけどね。でも少し、そんな意味もあり・・かな?」会話の途中で、列車は O駅に着いた。
今回の「ラジオ深夜館・リスナーの集い」が持たれる O市民会館の会場は 12:30pm。定員制も座席指定はされず、理乃と前嶋は大ホール右寄り、中央やや後ろの辺りに並んで着座。出入り扉にも近いその席は四列で、隣席が埋まっても、化粧室などへ立つのに支障がない。中央に近い左側に理乃、右隣に前嶋が座った。開いていた隣席は、間もなく初老の夫婦らしい男女が着いた。
1pm少し過ぎ 大ホールの照明が落とされて総合司会の N局・地元女子アナウンサーが登壇。手元の資料にもあるが、当日の進行を手短に伝えた。前半は番組にも複数回登場の男性映画評論家の講演、しばしば映画を嗜む理乃は、これを聴くのがメインの目的だった。質疑応答と休憩を挟み、後半はその評論家氏と石塚典輔、邑井由香利の両アンカーも加わってのトーク・イヴェント。人数限定も、聴衆からの質疑にも応じる内容となっていた。
満場の拍手に続く 前半の映画評論家の講演は、洋画、邦画の両面に跨る雑感が主で、理乃は時折頷きながら熱く聴き入っていたが、隣席の前嶋は上の空。理乃程には映画に関心がないのもさる事ながら、続いて登壇する由香利の姿を様々に想像して落ち着かなかったのだ。「不幸中の幸い」というべきか。彼女は檀上の講師の話に大きく没入している。右隣の夫婦らしい男女も同様だ。「どうだろう?」彼は思った。
「少し位勃起してても、気がつかん・・かな?」映画評論家の講演は、話の進行が中々上手く 映画ファンなら退屈しない風情だった。前嶋は正直、迷っていた。「今の内に・・」 「理乃が話に夢中な間に、トイレに立って自慰してくる事もできそうだな・・」事実、彼の下方はスイッチが入りかけていた。それを「だが待てよ!」ともう一方の前嶋が押し留めた。
そのもう一方の彼は、些か邪悪なそれだったかも知れない。「理乃は、ほぼ完全に講師の話に引き込まれている。このままイヴェントが終わりゃ、相当に気分が昂っているはずだ。・・て事はだぞ。上手くやりゃ、理乃を『食える』かも知れん。社内の同僚だが、そこは露見がない様に手打ちすりゃ良いって事か?」なる程、それも悪くはない企みだ。
映画評論家の講演は 1H強で、少しの質疑応答も含め 3pm前には区切られた。暫しの休憩後、やはり大いなる拍手に続き、今度は男女二人のアンカーと評論家氏によるトーク・イヴェントに入る。まず軽めの正装で石塚アンカー、次いで由香利が現れた。「うん、エロいな!」彼女を一見した瞬間の、前嶋の感想だ。いかにも陽春らしい、赤紫調のフレア・ワンピースに近い色のローヒールで現れた由香利を目にした瞬間、又も前嶋の下方にスイッチが入った。
「いかん、いかんぞ!さ・・さっきとは状況が違うんだ」鎌首を持ち上げようとする本能と生理を、前嶋は何とか抑えている状態だった。映画にも造詣が深い石塚アンカーと評論家氏の会話は軽妙にして流麗で、集まった多くの聴衆を魅了した。そこへ由香利が、これも好い感じで絡んでくる。前嶋にとっては 理性を保つのが疑わしい、何とも悩ましい段階(フェーズ)に陥った。傍らの理乃はというと、熱心に耳を傾けるも 評論家氏単独の講演程には集中していない様にも見受けられた。
「やはり・・」前嶋は、一種の観念をした。「ここは何とか、踏ん張るか・・」悩ましくも魅力一杯の会話(トーク)と短い質疑が 1H半程で終わったその時だ。まだ薄暗い大ホールの、二人の座る席に、入場の時誘導してくれた係員らしい女性がそっと理乃に寄り沿ってきた。年齢や背格好、髪型も彼女に近い。「青井さん、前嶋さん、今日はお越し有難うございます」 「こちらこそ、今日はお招き下さり感謝です」理乃はすかさず答礼した。隣席の前嶋も、軽く会釈した。
女性は続けた。「これから、お二人をアンカーさんがお使いの控室にご案内できます。来られますか?」 「勿論!ご高配有難うございます」理乃の答礼より先に、前嶋は力の入った返事をしてしまうのであった。傍らの彼女は一瞬唖然とした後「まぁまぁ・・」ととりなす様に彼を一瞥するのであった。
「まぁのぞみさん・・」理乃は言った。「アンカーさんにお会いできるからって、そんなに昂奮しなくても良いじゃない」 「あぁ、ご免ご免。余り上手く行っちゃったみたいで、つい昂っちゃったよ」前嶋は素直に答えた。傍らでは、例の女性が笑顔で見守っている。理乃の話から、O市民会館ではなく N局の関係者らしい。
聴衆の過半が席を立った 4:30pm過ぎ、向井という名字の女性は「じゃあ、行きましょうか・・」と理乃と前嶋を控室に案内にかかる。一旦廊下に出、舞台の傍らしい所を抜け、控室に至る道中でも、前嶋の胸中は揺れていた。「いよいよだな・・」 「遂に邑井さん・・いや、由香利さんに会える。初めは、通り一片の会話が良いかな。余り怪しまれるのもどうなん?だし。あっこれ・・理乃もな・・」廊下を少し奥に進んだ、幾つかのドアが並ぶその一つの前で、向井局員の足が止まった。「ここです・・」彼女は小声で、そう言った。
(つづく 本稿はフィクションであります)
今回の壁紙 浜名湖畔の東海道・山陽新幹線下り「のぞみ」 N700A系列車 静岡県湖西市 2018=H30,5 撮影、筆者
日野皓正さんの今回楽曲「サンバ・デ・ラ・クルズ(Samba De-La Cruz)下記タイトルです。
Samba De-La Cruz