この雨は こんな風に聴こえる 第44話「予兆」
- 2020/12/21
- 13:04
7月の下旬、梅雨が明けた様だった。よく夜に見る 宥海(ゆうみ)が出演する TV番組の気象情報でも「梅雨明けしたとみられる」の報がもたらされ、これに接した黒木は「やれやれ・・」と思わずため息を漏らした。
「この夏も・・」彼は独り続けた。「又 灼熱の日々が来るな。昼間も地獄、夜も地獄・・か」 確かに、ここ数年の 中京圏の夏の暑さは半端ではなかった。昼間の最高気温は連日 30℃台後半。時に 40℃に迫る日もあった。夜にしても最低気温は 20℃台後半から下らず、終夜の冷房が必須だった。「まぁ、これは・・」黒木、更に呟く。「写真趣味の先輩も言ってた通り、天気の事はどうにもならんのかな。そうなら、宥海さんにも良い知恵はないな・・」 結局、寝酒でも引っかけて 冷房を頼みに何とか寝入るしかない夜が、盆の辺りまで続くのだろうか。
しかしそれでも、悪い事ばかりではなさそうだった。8月に入って直ぐの土曜。夏の普段着とスニーカーを纏い 午前、東郊の JR武豊線(この路線が明治中期、この地方で最初に通った鉄道線の由)へ撮影で赴いた彼は、そのまま N市都心で雑用を済ますべく、東海道線の下り列車に乗った。たまたま来合わせたのは 各駅に停まる普通列車。快速の方が勿論速いのだが、追い付かれるのは降りるつもりの N市中央なので、昼近いこの時間帯は どれに乗っても結局同じだ。長めの 8両編成。
「ちょっと、無駄だよな・・」進行方向に揃った前向き席、クロス・シートの窓側に座りながら、黒木は呟いた。最も混雑する朝夕の時間帯を睨んだ車両運用の都合もあるのは分かっていたが「それにしても、もう少し有効にする手立てってないのかな?」とも思ったりした。黒木が乗ったのは前から 2両目。乗車率は 1/3にも届いていなかった。
約、十数分で よく赴く熱見神宮傍の熱見駅へ。今日は、ここでは降りない。乗車待ち数人の中に、宥海の妹・麗海(れいみ)に似た 華のある若い女の姿がみられた。長いだろうブルネットを後ろで纏め、淡色の夏のブラウスに同系のパンツとサンダル、それに白基調のつばのある帽子は、平装でも華を感じさせるもの。「あぁ、間違いないな・・」そう思って目で追っていた所、向こうも気づいた様だ。
「おー、恆(ひさし)お兄さん、どこかへお出かけだったの?」 「あー、麗海さんも忙しそうだね。うん、ちょっと これの練習でね・・」そう返した黒木は、隣席に置いていた黒のカメラ・バッグを己の膝上に移した。これも必須の三脚は、頭上の棚だ。空いた隣席に、麗海はすかさず座った。「やっぱり・・」彼は思ったが口にはしなかった。この日の様に 相当に空席があっても、彼女は黒木の隣か同じボックスに席を取るのが常になっていたからだ。
「丁度良かった。お兄さんに伝えなきゃって事があったの」と麗海。「はい、何でしょう?」とぼけた様に黒木が返すと 「おカネの事よ」と続けた。「まぁ、聞いてよ。つい昨日、ネットの取引先からまとまった入金があったの。これで、貴方と存(たつる)さんから盗った分が返せる・・と思うと気が楽でね・・」 「そりゃ良かった。但し・・だよ」 「はい・・」 「その件、近く 貴女達に存(タツ)と俺が一緒に会う機会があるだろうから、その時にしてくれると嬉しいな」
麗海「どうして?就活中で困ってるんでしょ?」 黒木「ご心配有難と。まぁ でも・・親類の後ろ盾もあって、今んとこは何とかなってるから心配しないで・・」 「分かった。そういう事なら・・」 そうこうする内、列車は N市中央に着いた。丁度ランチ・タイム。まだ次の用事までに時間があるらしく、暫く二人は 駅直結の商業施設ショッピング・モールを周ってから、黒木の知るパスタ店で昼食。
混雑した店内が少し静まると、麗海が言った。「存さんや姉とは、よく会ってるの?」 聞いた黒木「あぁ、しょっちゅうって訳には行かないけど、時々は・・ね。存(タツ)とは平均週一度、金盛副都心で夜 一緒に出かけたり・・かな」と返す。「そうかぁ。元気そうなのは良いわね。この所暑いからさぁ、どうしてるかなって思ったのよ」 「お蔭で、俺達兄弟は至って元気。宥海さんも、変わりない様だしさ」 「うんうん、あたしも貴方達兄弟と同じ位のスパンで、姉と会う様にしてるからね。所で・・」 「はい・・」
麗海は続けた。「姉からもチラ聞きしたんだけど、この夏の間に、あたし達 4人で一緒に会おうって話があるみたいね。どうなの?来週位かしら?」 黒木「あぁ、その話ね。頃合いを見て、お姉さんと貴女にも話そうと思ってたんだけど、余りの直前でもいかんし・・。で 様子を見てたんだけど、そうだね。来週末位で調整を始めた方が良い・・かな?」
麗海「お互いの都合や『身体の事情』とかもあると思うんだけど、できれば早めの方が良いな。そうすりゃ、お仕事の方を含めて しっかり調整できるしさ。ついでに、親達への言い訳も利くしね・・」 黒木「ハハ、そういう事ね。理解しやしょう。存(タツ)は多分良いとは思うんだが、一度訊いておくね。日取りは、金曜の夜が良いの?」 「そうして欲しいわ。姉はね、今度は土曜の日中が出番だから、体調さえ問題なければ 今度の金曜夜は多分大丈夫じゃないかな?」
黒木「そうですか。そいじゃ俺から彼女に連絡しておくかな。約一名除いて 皆んな本業があるからさ、決めるなら早い方が良いよね?」 麗海「ま、あたしは自分ちでの仕事だからある程度は良いけど、特に姉は TV局の縛りもあるから、早めに知らせた方が良いかもね・・」 「縛りか、そうか・・」この言葉が出た瞬間、一時だが、黒木の脳裏に芳しからぬ想像が過った。
「うん・・宥海さん、少し位 縛るとか、拘束するとかの方法も 考えた方が良いのかも知れん・・」 もっと若かった頃、黒木は所謂 SM系の雑誌やデジタル・コンテンツに嵌っていた時期があった。まぁ余りに緊縛度の高い暴力志向からは距離を置いたも「しかしだぞ・・」位の想いはあった。
「しかし、待ってくれ。苦痛までは行かんソフトな技だったら、一度位試す価値はあるかもな。よし、少し位道具立てをしておくのも良いかもな。蝋燭(ろうそく)?まぁあれは火事のリスクもあるからさ、とりあえずは考えんが、麻縄の代わり位は良いかも。よしっ、少し考えておこうか・・」一瞬、口に上り 呟きかけた所で、食事を区切った麗海が声をかけてきた。
「恆お兄さん・・」 「はい、あっ、何だっけ?」黒木は又、とぼけた様に応じた。麗海は続けた。「さっきから、何をブツブツ言ってるの?」 「あぁ、ご免ご免。明日から撮影しようと狙ってた、貨物列車がこの辺を通る時刻を暗唱してたって事ですよ」 「そうかなぁ?だったら『何時何分』とか、時間の事が具体的に出てきそうだけど、さっきのはそうじゃないみたい」 「そう聴こえたか。ま、少しは雑念も入ってたけどね」 「ふふ、そうか。じゃあその雑念の方を聞きたいわね」 「雑念かぁ、余り上手くは話せんかもだけど・・」
パスタ・ランチの後の飲み物がやって来た。麗海はジンジャー・エール、黒木はアイス・コーヒーだ。「いや、やっぱり・・」アイス・コーヒーを区切ると 黒木が言った。「4人全員が好都合の日っていうと、中々合わせるの難しそうでさ・・」 麗海「それにしても、難しく考えなきゃ良いんじゃない。LINEでさ『この日の夜どう?』みたいな感じで良いと思うけどね・・」 「そうですか。分かった・・」
促される様に、黒木はまず宥海、次いで存宛て LINEで今度の金曜夜の都合を尋ねる電文を送った。存からは折り返しで「了解」の返事。宥海の方は、直ぐには来ない様だった。麗海も、午後はそれなりの用件がある事だろう。「貴女、これからどうされるの?」黒木は、軽い感じで訊いてみた。
麗海「まぁ 用事があるって言えばあるし、何なら後か明日以降にも延ばせるレベルだけどね」 黒木「そうか。俺も似た様なものだけど、折角都心まで出たんだし、折に済ませておきたいって気もある訳よ。ここはどうかな、次のお楽しみって事で・・」 「ふふ、お楽しみねぇ。ひょっして、夜までお付き合いってな線もあるかもとも思ったんだけどね」 「今夜・・?まさかねぇ。ま、勿体なくもあるけどさ・・」 「それも分かるよ。貴方は来週に備えて、心身の準備・・でしょ?」 「えぇ、まぁね・・」既に 2pm過ぎ。麗海と黒木の会話は、もう暫く続いた。
(つづく 本稿はフィクションであります)
今回の人物壁紙 神前つかさ
今回の「音」リンク 「イッツ・オンリー・レイン(It's Only rain)」 by Euge (下記タイトルです)
It's Only Rain